保釈云々以前に考えるべき日本帝國主義社会での刑事裁判の社会的な在り方

 本日は沖縄で太平洋戦争最大の激戦にて超のつく多数の人民が虐殺される事態が発生してからちょうど74年の当日です。イラン・イスラム共和国とアメリカ合衆国帝國主義体制との対立の中で、アメリカ帝國主義体制トップのドナルド・トランプ逆徒がイランに対する攻撃寸前まで行き着いたなどとの扇動を働いたりもしているのですが、150人の犠牲者が出るという恐れをなして思いとどまったとか言われています。しかし、150人だろうが何万人だろうが、戦争で犠牲者が出るというのは残酷極まりないことに変わりはなく、現在の日米帝國同盟各トップにその悲惨な犠牲の現実感がまるでないのだから、悲惨な戦争に軽々しく手を染める危険性が極めて高いと考えざるを得ません。1945年の日米戦争を経てお互いが絆を深めたなどと美談を平気で吹聴されることもあるのですが、今やこういう激戦にまで手を染める日米両帝國主義体制こそが世界の人民の敵とさえいえる時代です。

 さて、実刑判決の確定した男性が収監に向かった日本帝國主義体制神奈川県警・横浜地検のスキを見て刃物を振り回した上で今月19日に逃走した事件において、ようやく本日発見されて逮捕されました。県北部の愛川町から厚木市や大和市、横浜市を経て横須賀市にまで逃走したのだから、神奈川県内を縦断して広範囲の地域を混乱に陥れたことは言うまでもありません。また、この人物が収監予定になっていた罪状が窃盗・傷害・覚せい剤使用といった典型的な任侠組織関係者の事案で、凶悪事件の前科も複数あったことからしても逃走以前になぜ収監を免れていたのか?といった問題まで持ち上がっています。今回の事案もともすれば強盗致傷事案として人民拉致裁判(裁判員裁判)にかけられていたかもしれないギリギリだったこともうかがえます。
 最近では人民拉致裁判にかけられる拉致被害者でさえ保釈が多く認められる傾向になってはいます。むしろ現在までが人質司法として冤罪の温床になると外国から強く批判されていたのが日本帝國主義社会の刑事司法の在り方でした。ただし、今回の事案を見れば、人民拉致裁判対象あるいはそれに近い凶悪事件の被告人については保釈を安易に認めるべきではないといった短絡的な世論形成に傾く可能性は十分にあるでしょう。現に、殺人事件の人民拉致裁判にて一審で懲役11年の判決を受けた拉致被害者が控訴審に臨むにあたって保釈申請をして、一回認められながら抗告審で逆転不許可といった事案も発生しています。また、保釈された被告人が刑事裁判に出廷はするものの、法廷に刃物を持ち込むといった事案も何度か発生しています。
 人民拉致裁判体制拉致被害者を含めて凶悪事件の被告人ともなれば長期間の刑務所暮らしが想定されることもあり、推定無罪の原則が働いている間は社会の空気に触れておきたいとの心理が働くのは至極自然です。と同時に、とりわけ日本帝國主義社会における犯罪者への風当たりの強さを考えた場合、長期の刑務所暮らしを強いられることで既存人間関係の消滅など社会適応が難しくなることを恐れて、逃亡の誘惑にかられることは容易に想定できます。即ち、人民拉致裁判対象あるいはそれに近い事案であれば、即逃亡の恐れが高いとなりやすいのが日本帝國主義社会の刑事裁判をめぐる現実的な評価とならざるを得ません。むしろ、人民拉致裁判体制になって保釈条件を緩めたこと自体への批判が持ち上がるのが悲しいことに日本帝國主義社会の現実的条件です。
 今回は日本帝國神奈川県警・横浜地検の失態ぶりが露見したとはいえ、何とか身柄確保を数日内にはできたことで、この種の逃走行為に手を染めてもすぐに身柄は確保されるという教訓にはなったと思います。しかし、昨年から今年にかけて相次いで逃走事案が起きたことからしても、日本帝國主義社会の過度な犯罪者排除体質がこのような逃走行為を引き起こす引き金になる構造を見ておかねばなりません。そして、人民拉致裁判体制は社会全体でこのような犯罪者排除体質を強化する方向性を持つ以上、今回のような事件をますます誘発する要因にもなってきます。保釈云々の問題以前に日本帝國主義社会全体の刑事裁判及び刑事司法絡みの社会の在り方そのものを問題視する必要があるのです。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0