人民拉致裁判制度(裁判員制度)糾弾ブログ2

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zoom RSS 刑事裁判での被告人への人権保障は何なのか(2)

<<   作成日時 : 2017/07/29 23:18   >>

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 1週間以上前で少し古い話になりますが、日本帝國主義体制釧路地裁でこんな裁判がありました。一般市民男性を道路交通法違反容疑にて現行犯逮捕する際に日本帝國北海道警13人ぐるみで暴行を加えた挙句、その後その男性が死亡したとの事案ですが、13人ぐるみでの暴行でありながら起訴されたのは1人だけ。しかも、被害者男性が死亡していることから、特別公務員暴行陵虐"致死"罪での起訴であれば人民拉致裁判(裁判員裁判)になった事案です。ここにも人民拉致裁判制度の本性が表れているという他なく、権力犯罪であればあるほど人民拉致裁判対象から外されやすいという傾向を見せつけています。また、権力犯罪であれば逆に権力側を擁護する傾向になるのも、同種の事案で奈良県で起きた特別公務員暴行陵虐致死事件人民拉致裁判での無罪確定からもうかがえます。この種の権力犯罪で最も擁護されるべき存在となるのがアメリカ合衆国帝國主義体制侵略軍関係者であり、未だに沖縄での女性強姦殺人事件の扱いがどうなるか不明確です。この種の権力犯罪に対しては人民の監視がより重要になることは言うまでもありません。

 さて、相模原市での異常な障碍者抹殺思想に基づく大量虐殺事件から1年が過ぎましたが、この種の思想を刑事裁判の場に持ち込みかねない人物に対しても刑事裁判の手続を保障してもよいのか?といった問題まで持ち出されています。オウム真理教代表の裁判では裁かれた人物が真摯な態度を取らなかったことで刑事裁判などする必要などないとか、こんな人物に何で時間をかけた刑事裁判が必要なのかといった扇動がされた経緯もあるのですが、今回のケースはそれにもまして、刑事裁判を行うことで日本帝國主義社会全体が国際的批判に晒されるリスクも持ち合わせています。代表に限らずオウム真理教裁判が大変長期にわたって行われた経緯もあって裁判の迅速化圧力が強まった経緯もあり、その延長上に人民拉致裁判制度(裁判員制度)もありました。そして、何でこんな人物に対する刑事裁判の手続保障せねばならないのか?との疑問を持たれそうな事案で人民拉致裁判が強行されようとまでしているのが現実です。
 オウム真理教裁判も一因となった人民拉致裁判制度の導入過程は明らかに被告人の人権保障の理念とは逆のベクトルです。そうでなければ最大の当事者である重罪刑事被告人の意見が全く排除されて反映されない経緯などあり得ないからで、重罪裁判において人民拉致裁判を拒否する権利を認めていないのは、重罪刑事被告人に政策導入の是非を尋ねるとなれば大半は拒絶するに決まっているからです。本来刑事被告人の人権保障の一線を越えてはならない弁護士サイドが、世論の扇動に敗れる形で刑事被告人の人権制限を容認した経緯もありました。相模原事件で裁かれる男性のような主張をする人物に刑事裁判の手続を保障することそのものの是非まで問われようとしている一方で、刑事裁判の理念に反する経緯で導入された裁判システムを強制するのだから、刑事裁判手続の保障が一体何なのかまでが問われようとしています。
 そして、こんな思想を持つ裁判に加担させられる人民こそが最も不幸な存在にさえなりかねません。それこそ、刑事裁判を行うことそのものが世界的批判に晒される裁判ゆえに日本帝國主義社会全体が敗者になる事案ですし、その最大の敗者は裁判に関わっている当事者となるからです。日本帝國主義社会全体が社会的敗者になる事案において、それを承知しながら率先して裁判に加担せよということほど反人権的で残酷なものはありません。何で社会全体を代表して敗者となるべく率先しなければならないのか?という理不尽さを感じるのは至極自然でしょう。こちらとすれば人民拉致裁判制度全体について徹底して認めない姿勢を貫いてはいますが、とりわけ今回の裁判ほど絶対に加担したくない事案はありません。理念なき政策導入の末路は、このような形での日本帝國主義社会全体の敗戦につながるのですが、そんな日本帝國主義社会全体のオウンゴールになるような裁判に人民を巻き込みたくないと最も考えるのが日本帝國主義体制人民拉致裁判推進集団でしょう。
 もとより、日本の人民性自体に刑事裁判における被告人の人権保障の理念に対しての共通合意がなかった、というよりも、むしろそれに反する人民性があったことがこのような異常な事態をもたらしているともいえます。刑事裁判被告人への人権保障の理念なき社会であるがゆえに、刑事被告人への人権制限を弁護士がいとも簡単に容認してしまう深刻な事態も起こりうるのです。刑事裁判被告人への人権保障を社会的に許さない環境の下では、当事者になった際に強行突破のような異常な主張をせざるを得ないという態度に出る人民も出て当然です。オウム事件も今回の事案も、刑事裁判の理念を社会的見地から取り戻すための闘争という側面から見る思想も必要になる、というわけです。

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