高野 善通のブログ2

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help リーダーに追加 RSS 劇場型裁判になって当然

<<   作成日時 : 2009/11/24 23:25   >>

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 まずは新潟日報の本日社説から。新潟日報に限らず、裁判員制度開始半年関連社説はどれもこれも「金太郎飴」状態。まずは順調なスタートとか言っておきながら、新潟日報さんよ、足元の新潟地裁こそ裁判員裁判におけるトラブルが起きる危険性が最も高いのですぞ。弁護士会が最初に裁判員制度延期決議を出したのが新潟ですし、制度絶対反対派の西野喜一先生や高島章先生のお膝元、しかも、高島先生が弁護する裁判員裁判こそが全国的に見ても極めて大きな問題になりそうです。それも、被告人が起こしたとされて起訴された性犯罪を含む多数の事件について、分離か併合かで大激論がなされたからです。

 本日は産経新聞サイトでこんな記事も出ました。裁判員裁判が劇場型に展開する危険性への懸念ですが、刑事裁判の性格、本質を考えたら劇場型裁判になるのは当然の話です。懸念とか課題で済まさないでください。
 刑事裁判の本質的性格とは何か?被告人が国家からの不当な刑罰を受けないために、検察が一方的に優位な形で出してくる証拠に対して弁護側がありとあらゆる手段を講じて守るというものです。しかも、無罪を争うような事件では、検察側証拠について「100%に限りなく近く疑う余地なし」と判断できなければ無罪となるのが刑事裁判です。そうなると、基本的な意味で弁護側がありとあらゆる手段を持ち出すのは当然といえます。無論、検察側も適正な刑罰を科すことができなければ国全体の治安悪化、そして、国家の対外的信用を失う事態に陥るので、最大限の力を持って証拠を出してきます。検察側と弁護側が究極の形で戦う以上、お互い「自らの利益のためには何でもあり」の姿勢になるのです。
 3人のプロ裁判官に加え、6人も裁判員が入る形になれば裁判員の意見を無視するなど絶対にできるわけもありません。まして国家治安・統治の根幹に関わる重罪事件を扱うのみならず、「裁判員制度の意義を損ねない」大義名分の下控訴審でプロ裁判官による判断の修正は限定されることになったのです。裁判員の心をつかむことが重罪刑事裁判を勝ち抜く最短ルートになったのは当然です。裁判員の心をつかむにはどうすればよいか?とりわけ情に流されやすい日本人の性格からして、劇場型裁判を目指すのは検察、弁護両サイドとも必然の結果です。さらにいえば、上記の産経記事に例が出されたように、弁護側による劇場型弁論は極めて不利でかえって逆効果にさえなりかねません。そもそも日本人の刑事裁判に対する見方は根底的な意味で一方的な検察・犯罪被害者サイド寄りで、世界の刑事裁判の常識と真っ向から反するものだからです。
 劇場型裁判といえば、この裁判員制度が世論として一気に持ち込まれた光市母娘殺害事件が典型的でした。この裁判ではメディアの扇動報道、さらに検察側サイドの見方をした弁護士による世論扇動が大変な問題になりました。今の裁判員裁判は光市事件のミニ版が各地で行われているのと同じです。英国人女性殺害事件、鳥取・埼玉の男性連続不審死事件など、世間をにぎわす凶悪事件はいつの世になっても尽きることはありません。しかし、世間をにぎわすムードが刑事裁判に持ち込まれたとき、どんな恐ろしい裁判になるかということについて、(大手メディアに出る)プロの法曹もメディア自身も本気で考えているとはとてもいえません。

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