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昨日の渋谷夫バラバラ殺害事件、各新聞社説も掲載されています(毎日・朝日・産経・中国・新潟日報)。今回、弁護側鑑定医は無論、検察側鑑定医でさえ「心神喪失」と判断したものを裁判官がその結果を反故にするような判断を下したのは信じられないと思った国民も多いでしょう。まして、25日には最高裁が「鑑定結果は十分尊重すべし」と判決を出しているからです。 この最高裁判決からすれば精神鑑定書については法律に基づいて判断せよ、とりわけ、弁護側・検察側ともに同じ内容の鑑定書を出したということは、この結果に基づいて法律的適用を通じた判断をしなければならないのです。上記毎日社説のように「評価が分かれるケースほど裁判員の健全な市民感覚が発揮される」ことになれば、各ケースごとの判断がバラバラになり、とても制度への信頼が深まるとは考えづらくなります。 今回のケースでさらに状況を複雑にさせるのは、被告人本人が控訴を希望していないことです。4月25日に出た最高裁判決を考えれば弁護人としては絶対控訴の案件です。対して、検察側は求刑懲役20年に対して判決懲役15年ならば大体「相場」というところで、実際に検察側は「妥当な判決」というコメントも出ています。しかし、最高裁判決を考えれば控訴されることが社会秩序維持の観点からも必要ということになれば、弁護側の控訴を促すために(とは表向き言いませんが)検察側は名目上100%の量刑を求めて控訴するということが考えられ、それならば弁護側も被告人を説得して控訴することもあるでしょう。しかし、こうなったら本来の刑事裁判のあり方といえるのでしょうか? この裁判に限らず、先日の最高裁判決にしても、光市事件(これは裁判員制度を作った要因になった裁判でもありますが)にしても、刑事裁判が裁判員制度という一つの法律に振り回された結果が起こした問題です。刑事裁判、もっと言えば社会全体をここまで振り回してまで導入する「裁判員制度」って一体何の意義があるのでしょうか・・・? |
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